開発ヒストリー

太陽電池はなぜ平面でなければ
ならないのだろうか?

創業者の中田は、以前、三菱電機にて人工衛星用の太陽電池の研究にも携わっていました。1980年に京セミを立ち上げた後は主にLEDやフォトダイオードの開発・製造に忙しくしていましたが、あるとき、太陽電池について、ふと疑問を抱きました。「太陽電池はなぜ平面でなければならないのだろうか」。

実験室であれば、光は決まった方向から照射されます。しかし現実には、太陽光の当たる条件は一定ではありません。太陽は一日を通して東から西へと移動しますし、地上においても、直射光だけでなく、周りの環境によって反射する光や拡散する光が存在します。「太陽電池を球面状にすれば、光の利用効率が一番よいのではないか」。これが球状太陽電池の最初の着想でした。

北海道への進出、
そして無重力実験センターJAMICとの出会い

ちょうどその頃、京セミは生産能力を増強する必要から、新しい工場を建てる計画を温めていました。検討を重ねた結果、いくつかの候補地のなかから最終的に北海道の上砂川町に白羽の矢が立ちました。

上砂川町は、もともと炭鉱の町でした。次々と炭鉱が閉鎖される時代の流れを受けて、企業誘致を含めて新しい活性化の道を模索しているところでした。無重力実験センター (JAMIC) が産声を上げたのもその一環。京セミが工場進出した同じ年1989年のことでした。

炭坑跡地の710mの縦穴を使った
球状シリコン結晶の実験

創業者の中田にまた新たな着想が訪れます。「無重力のなかで液状化したシリコンから結晶を作れば、球状の結晶ができないだろうか。」そう思った中田はJAMICに相談に行きました。

JAMICは炭鉱の跡地を利用した施設です。全長710mの縦穴の自由落下部490mの中を地下に向けて真空カプセルを落下させ、微小重力状態を作り出していました。このカプセルの中にシリコンを入れ、落下させる途中でイメージ炉を使って溶かし、結晶化を試みました。当然ながら、最初はうまくいきません。試行錯誤を繰り返すうちに、球のかたちをした粒ができるようになってきました。

粒ができたら、次は表面にpn接合を作り、太陽電池にしなければなりません。通常であれば平らな面におこなうことを、京セミが培ってきたノウハウをもとに球面上でチャレンジを繰り返しました。初めてできたセルは4粒。串団子状につなぎ、光をあてると、発電していることが確認できました。

長い基礎研究を経て、
世界でオンリーワンの技術として事業化

JAMICでの落下実験を重ねるうち、実用化を目指して数多く実験を行ないたい、との思いが日増しに強くなりました。1998年には「無重力利用研究所」を立ち上げ、自社内で基礎研究を加速できる体制になりました。

当初は細々と行なっていた研究も、徐々にメンバーが増え、2004年には「スフェラー® (Sphelar®) 」(=球状太陽電池Spherical Solarからの造語)を商標登録するとともにサンプル出荷をスタート。三次元受光という特長をどのように生かしたらよいか、はじめは戸惑いがありましたが、徐々にその良さに着目してくださる方も増え、現在、複数のお客様とともに製品開発に取り組んでいます。

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